それは突然


介護保険がスタートして、約3ケ月が経った平成12年7月15日(土)でした。毎週土曜日は、職場の同僚とテニスをしていた私は、その日もテニスを終え同僚と1杯やって自宅に帰ってきました。
 帰ったときいつも居間にいるはずのおふくろの姿が、見えませんでした。2階の自室で着替えて、再び1階へ降りていくと、和室のタンスの陰に倒れているおくふろを見つけました。駆け寄って声をかけると殆ど意識がなく、直ぐに救急車を呼び近くの救急病院へ搬送しました。
 いつもは、親父がおふくろと一緒にいるのですが、シルバー人材センターに登録し小学校の用務員をしていた親父は、その日午後から近くの小学校へ仕事で行っていて留守でした。
 親父が出かけたのが昼12時頃で、私が帰ってきたのが午後3時頃ですので、その2時間の間におふくろは倒れてしまったようです。
 病院の医師の診断では、脳梗塞の疑いで2週間の入院が必要とのことでしたが、その後1週間は容態が悪くなる一方でした。高熱をだし、意識は戻らずいつ行っても大きないびきをかいて眠っています。そうしている間に、心臓が弱ってきてしまい一時は人工心肺装置を付けるかどうかというところまでいきました。
 病院の病室で、点滴のチューブを何本もつけられ、酸素吸入を受けながら眠っているおふくろを見ていると、「なぜあの日もっと早く帰ってやらなかったのだろうか」という後悔の気持ちで一杯になります。
 それでも約1週間した翌週の金曜日に、やっとおふくろが意識を取り戻しました。そのときは、本当にほっとした気持ちになりました。


しかし、その後が大変でした。意識は戻っても、殆ど話ができない状態です。高熱の原因も分からず、毎日薬で熱を下げなければなりません。
 2週間ほどして、医師から病状についての説明がありました。高熱は、伝染性単核球菌(正確な名前は覚えていません)とかいう菌に感染したために続いていたようです。また、脳梗塞はかなりひどく、MRIの画像を見せてもらいましたが、脳の半分ほどが真っ白になっていました。
 しかし、脳梗塞は、ここで急にひどくなったのではなく、これまでにゆっくりと少しづつ進行していたようです。確かにこの年に入ってから物忘れがひどくなり、2月にあった私の従兄弟の結婚式に、おふくろが1人で出席したとき、結婚式場がどこかわらなくなって、そのまま出席せずに帰ってきてしまったことがありました。
 そのときは、加齢による呆けがきたのかと思って、精神科の病院へ連れていったのですが、原因は脳梗塞だったのです。このときに、脳外科の病院へ連れっていってやっていれば、ここまでひどくならなかったかもしれません。


入院は、長くても3ケ月くらいと思っていたのですが、その後も少し良くなっては、また高熱を出し逆戻りを繰り返して、7ケ月半入院していました。
 脳梗塞は、少しづつ回復し、言葉は普通に話せるようになりましたが、記憶の殆どは飛んでしまいました。体の麻痺もひどくはありませんが、7ケ月食事も殆どとれず点滴だけ寝たきりだったので、体力が消耗してしまい、歩くことは出来なくなってしまいました。
 私も親父も、病院へ通い、帰りに買い物をして、食事の支度をする毎日に疲れ切っていました。少しでもおふくろの容態が良くなってくれることが励みでした。
 おふくろが、食事をとらないことが最大の問題でした、看護婦さんも何とか食事をとらせようとしますが、がんとして受け付けません。そんななか、「気晴らしに自宅へ帰ってみますか」という先生のことばがあり、1泊で自宅に連れ帰ってみると、不思議なことに、ほんの少しですが食事を口にしました。夜も、安心しきってぐっすりと眠っています。何も分からなくなってしまっていても、自分の家は分かるのでしょう。
 その後、何回か自宅に連れ帰るたびに、食事の量も増え、病院でもしっかり食事をとるようになって、体力も回復して行きました。


翌年の1月末にやっと退院することができました。さんざん看護婦さんの手を焼かせたので、退院して1年半経った頃も、外来で病院へ行くと皆、おふくろのことを覚えてくれていました。
 その後は、介護保険を受けて在宅介護をしていましたが、退院前は、果たして家で介護していくことが出来るかどうか大変不安でした。と言うのも、最初に介護認定を受けたときの要介護度は、最重度の5だったからです。ほとんど何も自分では出来ません。
 親父も私も、家事はまるでだめでした。それでも、家にいるときのおふくろは、安心しきって穏やかです。食事も良くとり、3ケ月後には退院時よりも5sも体重が増え、元気になりました。
 そんなおふくろも、4年前に他界しました。心を半分もぎ取られてしまったような思いにしばらく立ち直る事ができませんでしたが、いくらかでもおふくろに安らかな日々を過ごせてやれたのではないかと思っています。